03/14
2014
「連日、予算委員会、外交防衛委員会で質問」
こんにちは。
先週の予算委員会、昨日の外交防衛委員会と、続けて質疑に立っています。
質問の様子は、参議院HPのインターネット審議中継で見ていただくことができます。議事録についても、確定された段階で、私のHPに掲載いたします。
さて、集団的自衛権の議論に焦点が当たっていますが、国会の議論が少々荒っぽいことに、やや懸念をしています。今日は、これまでの議論をおさらいしたいと思います。
集団的自衛権の行使について、日本政府は憲法9条との関係で「保有するが行使せず」という立場をとってきました。
もちろん、このことは歴代政権の長年の議論の積み重ねによって確定し、定着しているものであり、この解釈をしてきたのは、圧倒的に長期政権を担ってきた自民党です。
主な過去の内閣法制局長官の答弁は以下の通りです。
1983年2月22日、角田禮次郎 内閣法制局長官の答弁。
「仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思います。したがって、そういう手段をとらない限りできないということになると思います。」
1997年2月28日、大森 政輔 内閣法制局長官の答弁。
「ただ、私が法解釈の変更は困難であると申しましたのは、特に九条に関する政府の解釈と申しますのは、憲法の基本理念の一つである平和主義という国の基本的なあり方に係るものでありまして、長年の議論の積み重ねによって確定し、定着している考え方、解釈というものを、政策上の必要性によって変更するということは困難ではないかということを申し上げたわけでございます。」
2005年11月4日、集団的自衛権についての政府見解等に関する再質問に対する答弁書。
「仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられるところである。」
これだけの立場を内外ともに表明してきました。法治国家として非常に重たいものであり、国民の生命・安全ならびに国の根幹に関わるものです。一安倍政権が解釈変更を閣議決定するだけで簡単に変えられる性質のものではありません。もちろん、内外情勢の変化、北東アジアの安全保障環境を考慮に入れることは言うまでもありません。
しかしながら、現在、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で議論されている具体的事例の中には、国際法上、武力行使と評価される可能性が否定できないものや、その事例の発生蓋然性がどの程度なのか疑わしいものなど、精緻な議論が求められる事例も多いと考えています。いわゆる「マイナー自衛権」や「領域警備」をはるかに超えた議論が安保法制懇ではなされています。
そんな中、小松法制局長官の院内・院外での不規則発言、不適切な発言が報道に取り上げられています。
ご本人がガンを発病されて抗ガン剤治療をされている(本人が公表)状況で、国会に出てこられるのは立派だと思いますが、投薬治療をしながらでは、我々国会議員も病状に気を使いますし、国会で議論をして病気療養中の方をいじめるような印象を与えることは本意ではありません。私が外務副大臣の時、スイス大使であった小松氏とも仕事をさせていただきました。極めて優秀な方だったとの印象が残っています。個人的にも治療に専念していただきたいと切に願います。
先週も、昨日も、小松長官の問題発言が続き、審議がストップすることが多くありました。情緒的な議論をなるべく排除し、法的な議論を緻密にしなくてはなりません。法制局長官とは法律のプロフェッショナルであり、重要な役割をこれまで担ってきました。時に政治家の暴走に抑制をかけたり、法的な整理を進言したりしてきました。それに比し、小松法制局長官が、勝手に「総理は安全保障基本法を国会に提出するお考えではないと思います」(あとで陳謝)とか「安全保障の法的基盤の見直しを内閣法制、総理大臣の御方針でおやりになるということが分かっているわけでございますから…」等々の発言をすることは、長官としての職責を超えており、言語道断です。
これには与党内からも批判的な声が上がっています。自民党内でも勉強会が次々を立ち上がりました。民主党は先般「集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更に関する見解」をとりまとめ、発表いたしました(民主党HP )。
多数で無理やり押し切るような問題ではありません。